二番はいない19

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Dhamma Articles > クンヤーイの生涯
[ 2008年12月22日 ] - [ 閲覧回数 : 17073 ]

『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

19.先見の明 

19754月新寺院では、瞑想場や僧侶の住まいがほぼ完成したので、クンヤーイとルァンポーは、ワット・パークナーム寺院から引越しました。「仏輪瞑想センター」と呼ばれる瞑想場の規則を、クンヤーイはワット・パークナーム寺院での、ルァンプーとの修行経験から学んだものに、自身の先見の明を生かしながら定めました。
 
この中でも特に重要なものは、寺院の玄関の扉は、午後6時から翌朝6時まで閉めておくこと、僧侶は、自分の住まいで信者の接待をしてはならない、女性は厳禁であることです。クンヤーイは、寺院の僧侶やスタッフたちの人数、更には寺院を訪れる信者の数を考慮に入れると、托鉢だけではとても全員の食事を賄うことはできないと考え、ルァンポーに食堂の建設を提案しました。
 
あまり前例のない寺院での食堂の建設を見て、心ない人たちは様々な中傷を流しました。しかし、クンヤーイはこの様な人たちの中傷には意に介さず、新寺院には必要なものだ、と考えを貫き通しました。クンヤーイは、人になんと言われようと、それが道徳に反せずに社会に悪影響を及ぼさず、僧侶の戒律を破らなければ、決して心が揺れ動かずに、何事にも初志貫徹しました。
 
クンヤーイは、自分の判断基準をこのように述べたことがあります。「私の、生涯を通しての判断基準は、簡単なものです。相手の喜ぶことや満足するようなことをするのではなく、あくまで、仏陀の教えの通りの判断をするだけです。なぜなら、仏陀は善と悪、功徳の有無を知っているからです。ですから自分の判断を、たとえこの国の全員が反対しようとも、私は意に介しません。私が、喜ばせて満足させたいのは仏陀だけです」
 
ある日ルァンポータッタは、クンヤーイのこの決断基準について、「そんなことをすると相手は怒りませんか」「もちろん、怒ります」「怒ったらどうしますか」「怒っている間、ただ、自分の心の中の深くに入って、自分の法身を、涅槃にいる仏陀の法身と一体となり続けているだけです」
 
このようにクンヤーイは、人の影響を受けずに、心が動揺するということも一切なく、終始、心を留め静止させることができる稀な人でした。こう言う人であるからこそ、大きなグループのリーダーとなり、困難な障害や問題があろうとも、法身の瞑想法を広げる、という重大な任務を果たすことができるのです。障害や問題への戦い方は、人々への慈悲心、清らな心を持って、決してそれから逃げずに争いもせず、ただ正しい良い行いを続けるだけなのです。
 
引越ししてからのクンヤーイの日常生活は、朝食を終えると11時まで瞑想を続け、その後、昼食を摂ります。そして、一つの水桶、鍬(くわ)と鉞(まさかり)を持ち、お寺の後援者たちを誘うと植樹を行いました。様々な種類の木を植えましたが、多くはバナナの木でした。60歳を過ぎたクンヤーイですが、植樹が楽しくて堪らない様子でした。若い人たちに負けない元気溌剌振りを見て、一緒に植樹をしていた若い人たちは羨望の面持ちでした。
 
いつも、夕方五時頃まで植樹を行い、その後、ルァンポーの住まいに、お湯の入った容器を届けていました。この容器は、「法を学ぶための家」で使われていた物で、誰かが新しいものと交換しようとすると、クンヤーイは受け入れず、自分自身にとって価値がある様子でした。
 
この後、シャワーを浴びて、夜8時から10時まで瞑想を続けると、翌朝の3時には眼を覚まして、また瞑想を始めました。朝の瞑想の目的は、財運を呼ぶためのもので、新寺院を建設する仲間の同士を呼び集めるためでした。これが、クンヤーイの日常の変らぬ習慣でした。

 


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