二番はいない18

Dhamma Articles > クンヤーイの生涯
[ 2008年12月22日 ] - [ 閲覧回数 : 12015 ]
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『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯

18.布教の始まり

ルァンポーは寺院建設が軌道に乗ると、人々の心の質の向上のために、仏法の学びと実践を、青少年を含む多くの人々に教えようと考えました。より良き人生を送るためには、心の訓練が大事なものだという概念は、クンヤーイに出家を申し出たときから言い聞かされて受け継いだものです。
 
クンヤーイは、若者たちが良き人となり、幸せな人生を送るためには、学問的な知識だけではなく、心の学問である道徳、つまり仏法を人生の中に取り入れることが必要だと教えました。そして、その若者たちは、仏教を支える礎となるでしょう、と。
 
このような考えを基に、1972年第一回の仏教後継者訓練および集団短期出家のコースが開催されました。参加者は、高校生や大学生約60名でした。当時、寺院の環境は、干乾びた地面が一面に広がっていて、暑さを避ける木々もなく、皆が一緒に瞑想できるような建物もありませんでした。
 
このような環境の中でありながら、参加者たちは八斎戒を守り、屋外で蚊帳を使って寝泊りしながら、自分の我侭さに打ち勝つために、心を留め静止させることを学び実践する、と言う数々の厳しい訓練を受けました。このコースは、寺院で行う初めてのプロジェクトであり、現在まで延々と続いているのです。
 
その結果、現代風の若者たちが、世俗的な学問だけではなく、仏法の大切さを骨身に沁みて知りました。仏法を実践することによって、眼に見えて学業成績が向上して、性格や生活態度も、両親や先生が驚くほどに改善されて行きました。このプロジェクトは、参加者だけではなく、周囲の人々をも巻き込んだ、国の発展に寄与したと言えます。
 
1973年当時、瞑想センターとして知られていた寺院は、建設から三年を経過して、外観はほぼ出来上がっていました。ルァンポータッタは、出家から二年が経っていましたが、ルァンポーやクンヤーイと共に、ワット・パークナーム寺院で生活していましたが、引越しの準備を始めました。
 
クンヤーイは、新寺院の自分の住まい予定地の周囲に、沢山のバナナの木を植えました。それを見てルァンポータッタは、疑問に思い尋ねてみました。
「クンヤーイ、こんなに沢山植えて、まさか、私の食べ物じゃないでしょうね」
 
 クンヤーイは、ルァンポータッタの心が読めるように「あなたが蹴っ飛ばすためのものです。あなたは僧侶ですから、怒りが沸いたときは、相手じゃなくてこの木を、折れようが好きなだけ蹴ってください」と言いました。
 
 ルァンポータッタは、このバナナの木を見る度に、このクンヤーイの言葉を思い出して、可笑しくて噴出しそうになります。クンヤーイは、自分の短気さを見抜いて用意してくれたんだなあ、と。
 
 1973年出安居が終ると、クンヤーイの弟子で寺院建設現場の管理者である僧侶たちは、ワット・パークナーム寺院から新寺院に引っ越してきました。この地での最初の頃の生活は、困難を極めました。土壌が酸性のために、地下水はとても酸っぱくて、飲めたものではありませんでした。
 
 そのために、水を浄化させる明礬石を入れて上澄み部分だけを掬い取り、更に煮込んで不純物を取り除き、やっと飲料にすることができた有様でした。しかし、どのような苦労にも決して挫けず、心の中は、寺院建設を行っている功徳で喜びに溢れており、全身全霊を賭けながら、成功への期待感で一杯でした。

http://goo.gl/CQP3V


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