二番はいない22

Dhamma Articles > クンヤーイの生涯
[ 2008年12月22日 ] - [ 閲覧回数 : 12028 ]
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『二番はいない』

クンヤーイ(お婆さん) ウバーシカー(優婆夷)

チャン コンノックユーン

の生涯
 

22.ルァンプー・ワットパークナームへの敬意を表す

寺院の「良い人を創る」という目的の下に行ってきた活動は、有効的且つ順調に進んでいました。その結果、多くの人々が仏法に興味を持ちタンマガーイを訪れ、瞑想や仏法を学びました。更に、仏法に興味を持つという傾向が、広がっていく一方でした。人々を訓練する計画と共に寺院建設も同時に行われていたので、タンマガーイ寺院のスタッフが増え続けました。
 
この頃、80歳を過ぎていたクンヤーイは、以前のように寺院活動の視察を歩き回っては行うことが出来ませんでしたが、スタッフが漕ぐ三輪の自転車に乗って行っていました。
 
ある時ルァンポーが、ルァンプー・ワットパークナーム大師を礼拝するために、大師の金像を鋳造することを決めました。なぜなら、タンマガーイ(法身)という瞑想を学んでから「もし、191710月の満月の夜に、ルァンプーが仏陀の瞑想法である法身を再発見できなけば」、仏教の本当の真髄を理解することが出来ないことを知ったからです。
 
また、自分の内面にある法身に至り幸福と智恵の源を発見できずに、煩悩を全滅させる唯一の道を見つけられないとも考えました。このため、ルァンポーは、法身を再発見したルァンプーへの恩返しのためにも、大師の金像を鋳造し、これから来るであろう弟子達の礼拝の対象としたいと考えました。
 
この考えをクンヤーイに話すと、大喜びをしながら、こう言われました。「結構ですね。私は、苦労しようが休むことなく弟子達を育て、寺院完成まで20年にわたり皆と一緒に建ててきました。この間、栄養失調で倒れたこともありました。」
 
「これまでのすべての行いは、ルァンプーへ礼拝するためなものです。しかし、ルァンプーへの礼拝のために、どういう物が良いのかをまだ考えつきません。ルァンポーが大師の金像を鋳造することは、大変によいことです。住職のその考えで生じる功徳に、喜びを感じます。私も、この大師の金像に協力してくれる功徳の多い人を、瞑想で呼び集めましょう。」
 
そして、大師の鋳造式が執り行われたのは、1994225日でした。その日、全国の弟子達が集まり、ルァンポー、クンヤーイと共に、1トンの金塊で大師の金像を鋳造しました。
 
また、同じ年にルァンポーは、世界の仏教のセンターとして人々が瞑想を学ぶために集まる、タンマガーイ大仏塔を建てようと考えました。当時、クンヤーイの健康状態は思わしくありませんでしたが、まだまだ心は強く、この計画に賛同して、皆と一緒に大いなる功徳を積みました。
 
さらに、ルァンプーの金像を安置するための記念館と、三十万人も収容できる大瞑想場の建設を始めました。これらの建設計画と同時進行で、全世界への布教活動も行われ、現在に至っては、五大陸、南北アメリカ、アジア、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカまで、その活動は広がりました。
 
三十年半ばを超えたタンマガーイ寺院の活動は、建設途上であり、布教活動と人々を訓練することを行っています。寺院建設開始の頃より現在が、この寺院の役割は数百倍も重くなっています。なぜなら、ルァンポーと弟子たちは、この三つの責務を果たすことを、クンヤーイ生存中にお見せしたかったからです。
 
クンヤーイ自身が一生懸命に造って来た寺院は、法身を学ぶ世界の仏教センターとして人々に平和を与える場所とすることを実現し、ルァンプーから頼まれたクンヤーイへの贈り物としたかったのです。
 
クンヤーイ・ウバーシカー チャン・コンノックユーンは、ルァンプー・ワットパークナームの一番弟子であり、ルァンプーからルァンポーへの、法身瞑想法を世界に広げる責務を継承することの、援助役に徹しました。
 
クンヤーイは、心清らかで道徳心が高く、社会と国のため役立つことを成し遂げました。後に続く波羅蜜を行う人々は、クンヤーイをお手本とすることに大きな誇りを持つことでしょう。
 
クンヤーイは、タンガーイ寺院の成功の源泉であり、クンヤーイがいなければ今日のタンマガーイ寺院の隆盛は望めませんでした。太陽が地平線に沈む直前のように、もうすぐ90歳になるクンヤーイは、将来の世界の仏教センターとなるであろうタンガーイ大仏塔の、建設の進捗状況を度々視察していました。
 
そして、二年後の2000年4月22日に、第一回のタンマガーイ大仏塔の上棟式が行われました。この頃、91歳になったクンヤーイは、歩行は困難で三輪の自転車に同乗して、その成功を眺めました。タンマガーイ大仏塔の上部に三十万体設置された仏像が、太陽の光を浴び輝く様を眺めて、クンヤーイの眼は満足と笑顔による喜びの輝きで満ち溢れました。
 
この大仏塔の完成はクンヤーイの偉大なる勝利の業績であり、ルァンプーが言われたように「二番目はない」という言葉に相応しいものです。同じ年の910日土曜日に、クンヤーイは92歳で生涯を閉じました。その最期は、勝利を得た喜びの笑顔に輝いていました。
 
この物語が偉大なる優婆夷である、チャン・コンノックユーンの生涯でした。

http://goo.gl/A1Ebw


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